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東京高等裁判所 昭和61年(く)123号 決定 1987年3月25日

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、静岡地方検察庁検察官津村節藏名義の即時抗告申立書及び即時抗告理由補充書に、これに対する答弁は、弁護人大蔵敏彦、同大塚一男、同佐藤久、同田中敏夫、同市川勝、同津留崎直美、同河村正史、同阿部浩基連名の「即時抗告申立書に対する反論書」と題する書面に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する(なお、本決定においては、特に断わらないかぎり原決定と同じ略号を使用する。)。

所論は、原決定は、確定判決において、請求人を犯行と直接結びつける証拠としては、請求人の捜査段階における自白調書があるだけであり、犯行の態様については、古畑鑑定と左胸部損傷用器の判明経過が右自白調書の真実性を担保する重要な意義を持つものであつたが、新証拠によつて古畑鑑定の証拠価値が著しく減殺され、犯行順序が請求人の自白と合致しないのではないかとの疑いが生じ、左胸部損傷用器の判明経過も、自白の真実性を高めるいわゆる「秘密の暴露」といえなくなつたほか、陰部及び胸部の各損傷状況が自白と符合しない等請求人の自白調書は数々の疑点を内在させるものであることが明らかになつたので、右自白調書を再検討した結果、確定判決が掲げる理由をもつてしては右自白調書の信用性を肯定する根拠とはなし難いうえ、自白調書に内在する問題点を克服して、請求人の犯行を肯定することができるほど高度の真実性が請求人の自白調書に存するものとは認められない、以上の次第で、新証拠によつて請求人の自白の内容にいくつかの重大な疑点が生じたのであるから、もし、これらの新証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出され、これと既存の全証拠とを総合的に判断すれば、確定判決の有罪認定に合理的疑いを生じたものと認められるので、請求人に対し無罪を言い渡すべき新規かつ明白な証拠を発見したときに該当するものというべきであるとして再審開始の決定をしたが、原決定は、新証拠の評価を誤つたばかりか、特段の事情もないのに確定判決裁判所の心証形成にみだり介入して、刑訴法四三五条六号にいう明白性の到底認められないこれら証拠についてその明白性を肯認する誤りを犯し、その結果、無罪を言い渡すべき新規かつ明白な証拠を発見したとして再審開始を決定したものであるから、右の誤りは、原決定に影響を及ぼすことが明らかであり、到底破棄を免れない、すなわち、一陰部損傷の時期について、原決定は、犯行順序に関する新証拠によると、請求人の自白とは異なり、扼頸よりも後ではないかとの合理的疑いが生ずるとしているが、これは単に牧角鑑定等と異なる機序の可能性があるにすぎないことのみをもつて、直ちに陰部損傷の時期は扼頸以後である合理的疑いが生ずるとするものであつて、誤りである、二胸部損傷の時期について、原決定は、新証拠の指摘するとおり、扼頸以前に生じたものとは断定し難く、扼頸以後ではないかという疑念が生じるとしているが、これは、単に古畑鑑定等と異なる機序の可能性があるにすぎないことのみをもつて、直ちに胸部損傷の時期は扼頸以後であるとする合理的疑いが生じるとするものであつて誤りである、三陰部損傷の成傷用器について、原決定は、新証拠も指摘するとおり、被害者の陰部損傷は、請求人の自白のように陰茎を半分くらい挿入したというだけにしては、あまりにもその程度がひどく、陰茎挿入に関する請求人の自白の真実性に合理的疑いがある、としているが、これは姦淫の際「かまわず腰を使った」との請求人の自白を無視し、鈴木検調(一)の記載を勝手に読みかえているのであつて、その前提及びこれに基づく判断に誤りがある、また、原決定が請求人の自白調書に細部にわたる記載がないからという理由でその真実性に疑いを挾んでいるのは不当である、四胸部損傷の成傷用器について、この点に関する新鑑定は、鑑定方法上の不備があるばかりでなく、肺実質部の損傷の成因について相互に否定し合うなど信用性に乏しいものであるうえ、左肺外表部及び助間筋断裂の成因について、明確な納得し得る説明をなし得ないものであるのに対し、牧角鑑定書等、鈴木検調等は、これを最も合理的に説明し、納得させ得るものであるにもかかわらず、原決定は、単に牧角鑑定書等の見解には一般的に説明しきれない点があることのみをとらえて同鑑定書等を排斥し、直ちに請求人の自白の信用性に疑念が生ずるとするものであつて誤りである、五本件石の発見経過について、原審における事実取調べの結果、疑問点が解消されたことにより、請求人の自白によつて初めて被害者の左胸部損傷の成傷用器が石であることが判明し、本件犯行現場を捜索した結果本件石を発見するに至つたことが再確認されたのであるから、本件石に関する請求人の供述は「秘密の暴露」に当たることは明らかであり、捜査時に本件石の鑑定が実施されていなかつたことをもつて秘密の暴露に当たらないとした原決定は不可解である、六請求人の自白の信用性について、原決定は、大罪発言等の言動、態度があつたとしても、それをもつて直ちに請求人の自白が真実であることの決定的な証左とはならないとしているが、これは犯行順序に関する新証拠を過大に評価するあまり、自白全体の信用性の判断を誤つたものである、七新証拠の明白性について、原決定は、請求人の自白の信用性を担保する古畑鑑定の証拠価値が新証拠によつて減殺されたとしているが、新証拠の内容をなす各鑑定は、信用性に乏しく証拠価値の低いものであり、到底確定判決の事実認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠とは認められず、これを最大限に評価しても、たかだが確定判決が認定した犯行の順序、成傷用器と異なる態様の犯行を推定し得る可能性や見解があり得るとする程度の証拠価値しか認められず、到底明白性のある証拠とは言い難い、そしてまた、請求人の自白の信用性については、確定審における審理を通じて最大の問題点となつており、確定審各裁判所は慎重に吟味を重ねた結果、請求人の自白は十分信用できるとの結論に達したものであるから、再審請求を受けた裁判所は、当該自白の信用性に関する新証拠については、明白性の有無につき一層慎重な態度をもつて臨むべきであるところ、原審で取り調べられた新証拠はいずれも信用性に乏しく、到底確定判決の事実認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠とは言い難く、仮にこれらの新証拠が確定判決裁判所の審理中に提出されていたとしても、裁判所の心証形成に重大な影響を及ぼすことはなく、確定判決と同様の有罪認定がなされたものと解されるのであつて、本件新証拠は明白性のある新証拠とはいえない、というのである。

よつて、当裁判所は、関係記録及び証拠物を調査したうえ、原決定の当否につき、次のとおり判断する。

第一犯行順序について

一確定判決の認定

確定判決は、罪となるべき事実において、請求人は、幼女を連れ出して姦淫しようと考え、昭和二九年三月一〇日島田市幸町所在の快林寺石段付近で遊んでいた佐野久子を誘い、静岡県榛原郡初倉村坂本沼伏原四九二五番地の人目につかぬ山林に至り、同女をその場に降ろすや情欲を抑えることができず、「やにわに同女をその場に押し倒し、泣き叫ぶ同女の下半身を裸体にし、その上に乗りかかつて姦淫し、その結果同女に外陰部裂創等の傷害を負わせたが、同女がなおも泣き叫んで抵抗し、意のままにならぬのでひどく腹をたて、同女を殺害し、併せて前記犯行の発覚を免れようと決意し、附近にあつた拳大の変形三角石(本件石)を右手に持つて同女の胸部を数回強打したうえ、両手で同女の頸部を強く締めつけ、同日午後二時頃同所において、同女を窒息死させた。」旨認定している。要するに、確定判決は、犯行の順序を姦淫→胸部殴打→頸部絞扼→死亡と認定しているのである。同判決が犯行順序をこのように認定したのは、その旨の請求人の自白が古畑鑑定(古畑鑑定書及び古畑証言)によつて裏付けられたことによるのであるが、そこで重視すべきは、確定判決がそのことを請求人の自白の信用性を肯認する重要な根拠とした点である。

すなわち、請求人の自白によれば、犯行の順序は、姦淫→胸部殴打→頸部絞扼→死亡の順であつたところ、被害者の死体を解剖した鈴木医師による鈴木鑑定書は、「1死因は扼頸による窒息死と推定される。前頸部の革皮様化の皮下には、極めて軽度な出血を認める。2外陰部の裂創は出血があるが、周囲の生活反応がほとんどなく、付近に外傷がないことから、本創が生じた際に被害者の抵抗はほとんどなかつたと推定される。3左胸部の損傷には、出血等の生活反応が全く認められないことから、死後のものと考えられる。」とし、鈴木鑑定人の原第一審第三回公判における供述は、瀕死の状態の時には生活反応があつても非常に弱く断定が難しいとして疑問を残しつつも、胸部の損傷は死後にできたものと考えた、としており、右鈴木鑑定人の見解は、少なくとも被害者の胸部を殴打した後に扼頸したとする請求人の自白と齟齬していたわけである。

原第一審裁判所は、いつたん終結した弁論を職権で再開し、鑑定人古畑種基に対し、被害者の受傷の経過等を鑑定事項とする鑑定を命じ、第二一回公判において同鑑定人を尋問し、同鑑定人は、昭和三三年二月一八日付鑑定書を作成、提出し、同鑑定書は、右第二一回公判供述の一部とされているところ、同鑑定書は、「大体において鈴木鑑定は正しいと思うが、胸部の損傷を死後のものと判定していることは正しくないと思う。私の考えでは、胸部の損傷は鈍体の作用によるもので、おそらく生前の受傷であると思う。一般に創傷の生前・死後の判定を下すにあたつて、生活反応の有無によることは常識であるが、本件の被害者のように幼少のものは、まだ血管の発達が十分でなく、毛細血管における血圧が成人のように大きくないために、生前に受けた損傷であるにかかわらず、皮下出血がほとんど見られないことがある。本件において皮下出血が欠けていたので死後のものと判定したことは、一般成人の場合には妥当するのであるが、幼児においては皮下出血を伴わない生前の損傷のあることは忘れてはならぬ。胸部の褐色の革皮様化した表皮剥脱はおそらく皮内にかすかな出血を伴つていることと思われる。死後の損傷の場合は、まつたく蒼白であつて、褐色を呈していないのが普通である。それゆえ、胸部の損傷には、かすかな皮膚組織内の出血があつたものと考える。また、肺臓の所見において、左肺上葉に小指頭大に濃赤紫色を呈し、下葉に拇指頭大濃赤紫色を呈し膨大している部分があるのは、明らかに生前の外力の影響を思わせるものである。膨大している部分を切開すると、内部に出血が認められると記載されていることは、よくこれを証明している。被害者の受傷の経過を正確にいうことはむつかしいが、おそらく、まず押し倒されて姦淫され、その際、手指または陰茎によつて、外陰部等に裂傷等を生じ、胸部を鈍体をもつて殴打され、次に頸部を手をもつて絞扼されて死亡するに至つたものと推定する。」としている。右古畑鑑定書によれば、被害者の胸部損傷は頸部絞扼前に加えられたというのであるから、請求人の自白と鈴木鑑定書との不整合は払拭され、古畑鑑定書が請求人の自白を裏付けることになつたわけである。

確定判決が請求人の自白の任意性・信用性を認めるに当たり、このことを高く評価していたことは、確定判決に「被告人は捜査官に対し、佐野久子が死亡する以前にその胸部を石で殴つたと供述しており、……前記古畑鑑定人の鑑定結果と一致する。捜査官が被告人を取り調べた当時作成されていた鈴木医師の鑑定書には、右の傷は死後のものと推定される旨の記載がある。当時捜査官は、右鑑定書を精読していなかつたがゆえに、その点に関する被告人の供述を追及しなかつたものと思われるが、ともかく、犯行の重要な部分について捜査官が既得の知識に基づいて供述を強要したものでないことは確かであり、その供述が真実に合致すると認められることは、看過し得ないところである。」との記載があることによつて明らかである。

二新証拠と新規性

弁護人は、犯行順序に関する新証拠として、差戻前の原審において、北条鑑定書、太田鑑定書(一)(二)、上田鑑定書(一)を、差戻後の原審において、太田意見書、太田意見補充書(一)(二)、内藤意見書、内藤意見補充書を提出した。これらの各鑑定書、各意見書、各意見補充書は、いずれも、原第一審判決確定以後に作成されたもので、かつ、その内容等に照らして新たに発見されたものといえるから、新規性のある証拠ということができるとの原決定の判断は是認できる。

三陰部損傷の時期について

1犯行順序に関する新証拠及び旧証拠並びに差戻前の原審及び差戻後の原審において取り調べられたその余の各証拠を総合して検討すると、被害者の膣穹隆部裂創の凝血は生活反応と認めるのが相当であり、また、鈴木鑑定書によれば被害者の死体には全身症状として貧血症状が認められ、その原因としては陰部損傷からの生前出血以外には考えられないことからすれば、陰部損傷の時期は生前(頸部絞扼前)と認めるべきであり、陰部損傷の時期は死戦期以後、すなわち頸部絞扼よりも後ではないかとの合理的な疑いが生ずるとした原決定は是認し難い。以下その理由を説明する。

2原決定は、膣穹隆部の凝血は、半乾状血液を凝血と見誤つたのではないかとする太田証言、太田意見書、窒息死や凍死の死体の血液が死後しばらくの間組織内部に凝血を作り得ることによつて説明し得るとする太田鑑定書(一)及び上田鑑定書(一)の見解を排斥したが、被害者の死因は遷延性窒息であるところ、太田意見補充書(一)(二)及び四方一郎外一名編「現代の法医学」(八九頁、九〇頁)によれば、遷延性窒息死の場合は、心臓内血液は流動性でなく凝血を混ずるのが普通であり、心臓以外の血管内の血液も同様に考えることができることからすると、本件被害者の膣穹隆部裂創の凝血も、遷延性窒息死体の血液に含まれる凝血に由来するものと考えることも可能であるから、膣穹隆部裂創内の凝血の存在は生活反応の根拠には必ずしもならない、としている。

しかし、原決定がその根拠として引用する太田意見補充書(一)(二)は、「急死でない場合(窒息死も含めて)は心内血液は流動性でなくて凝血を混ずるのが普通です。心臓以外の血管内の血液も同様に考えることができます。」というものにすぎず、本件被害者の膣穹隆部裂創の凝血が遷延性窒息死体の血管内の血液に含まれる凝血であると説明しているわけではない。また、他の鑑定人の中にも膣穹隆部裂創の凝血の成因を遷延性窒息死の場合の血管内に含まれる凝血として説明している者はいないのである。また、四方一郎外一名編「現代の法医学」(八九、九〇頁)は、遷延性窒息死の一剖検例を紹介し、その事例においては、「心臓ならびに大血管内血液は完全に凝固し、末梢血管内にも多量の凝血が存在している。」としているだけであつて、これらの資料だけから、被害者の膣穹隆部裂創内の凝血の成因を遷延性窒息死体の血液に含まれる凝血に由来するものと考えることも可能であるとする原決定の判断にはいささか飛躍があるといわなければならない。

鈴木鑑定書によれば、本件被害者の死体においては「左心室を切開するに、内容は暗赤色流動性の血液少量を認め、右心室内容も同様である。心臓周囲の大血管より極めて少量の凝血を含む暗赤色流動性の血液多量に流出す。」とされているのであつて、心臓内の血液には凝血がなく、心臓周囲の大血管中の多量の血液の中に極めて少量の凝血が含まれていたにすぎないのに、鈴木証言(二)及び鈴木検調(二)の指摘する膣穹隆部付近の血管に半小指頭大の凝血が含まれていたと考えることは甚だしく困難であり、膣穹隆部裂創付近に半小指頭大の凝血を容れるような血管があるかどうかも疑問であるといわなければならない。

そうすると、本件被害者の膣穹隆部の凝血を遷延性窒息死体の血液に含まれる凝血に由来するものと考えることも可能であるとする原決定は疑問であり、右凝血は、内藤意見書、鈴木証言(一)及び鈴木検調(一)、牧角鑑定書及び牧角証言のいうように生活反応と認めるのが相当である。

3鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、被害者の死体が貧血状態にあつたことから、その原因を陰部からの大量出血に求め、そのような大量出血は生前の陰部損傷によるものとしているのに対し、原決定は、鈴木鑑定書には「全身症状として稍々蒼白で貧血症状が認められる」との記載はあるが、この記載は「死因は窒息死が最も妥当と思われる」という中の記載であつて貧血症状の点に重点を置いた取り上げ方でないこと、同鑑定書には「外陰部の裂創よりも出血したが致命的な大出血とは思われない」等の記載があること及び生活反応が出現しない程度の貧血状態にあつたということには疑問があつたとする太田意見書を根拠に、被害者の死体には、陰部からの大量出血を推認させるほど高度の貧血症状はなかつたとしている。

しかし、被害者の陰部損傷の時期を検討するに当たつて、被害者の死体が貧血状態であつたかどうかを考えるについては、生活反応が出現しない程度の貧血症状であつたかどうかとか、失血死を来たすような大量出血があつたかどうかという問題とは一応区別して考える必要がある。

鈴木鑑定書によれば、「全身症状として稍々蒼白で貧血症状が認められる」との記載があり、この記載が、原決定のいうように「死因としては……窒息死が最も妥当と思われる。」という中の記載であつて貧血症状の点に重点を置いた取り上げ方ではないとしても、「全身症状として貧血症状が認められる」という記載が誤りであるということにはならないし、鈴木鑑定書によれば本件被害者の死因が窒息死であるにもかかわらず、「背部には稍々鮮紅色の死斑を比較的淡く狭い範囲に認められる」とされているにすぎないことをも考え合わせると、被害者の死体が全身症状として貧血症状にあつたことは否定し難いと思われる。

このように被害者の死体に全身症状として貧血症状がみられる原因としては、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)がいうように、陰部損傷からの生前出血以外は考えられないのである。原決定は、陰部損傷からの出血につき、原第一審で取り調べられた司法警察員作成の昭和二九年三月一三日付検証調書によれば、犯行現場が三五度の斜面で被害者の頭が高い方にあつたと認められることに加え、上田鑑定書(一)及び上田証言は、窒息死の場合には血液が流動性であつて、血液就下の現象が非常によく起こるから、外陰部からの流血は生活反応ではなく、死後の血液就下によるものと判断されるとしているのであつて、陰部の損傷からの出血を、このようにして説明することが不合理であるとする根拠も認められないから、右説明も可能であるとするが、上野正吉著「新法医学」八〇頁によれば「死後の血管損傷により出血の生じた場合には全身性貧血は生じ得ない。」とし、四方一郎外一名編「現代の法医学」三五頁によれば、「損傷があつて全身が乏血状である場合は、その損傷が心拍動のある時期、つまり生前に生じたものであると判断される。」としているのを考慮すると、全身症状としての貧血症状を生ずるほどの出血を死後における血液就下として説明することは困難であるというべく、原決定のこの点の判断も妥当でない。

このように、被害者の膣穹隆部裂創内の凝血の存在は生活反応と認められること、被害者の死体は全身症状として貧血症状にあり、その原因としては陰部損傷からの生前出血が考えられることからすれば、被害者の陰部損傷の時期は、生前かつ頸部絞扼前と認めるのが相当であるから、陰部損傷の時期は、死戦期以後、すなわち頸部絞扼よりも後ではないかとの合理的疑いが生ずるとする原決定には事実誤認があるというべきである。

四胸部損傷の時期について

1犯行順序に関する新証拠及び旧証拠並びに差戻前の原審及び差戻後の原審において取り調べられた犯行順序に関するその余の各証拠を総合して検討すると、胸部損傷の時期が、生前(頸部絞扼前)に生じたものとは断定し難く、頸部絞扼以後ではないかという合理的な疑いを生ずるとした原決定の認定は、当裁判所も、結論としては、これを是認することができる。以下、その理由を説明する。

2古畑鑑定書は、被害者の胸部損傷が生前(頸部絞扼前)のものである根拠として、まず被害者の胸部損傷外表部の革皮様化した表皮剥脱が褐色を呈しているのは、生活反応である皮内出血を伴つているからであると推定し、鈴木証言(二)、牧角鑑定書等も同旨の意見である。犯行順序に関する新証拠である太田鑑定書(一)及び太田証言によると、革皮様化という現象は、表皮剥脱が乾燥して硬くなつたものであるが、これは、時間がたつにつれて、たとえ死後生じたものでも褐色調を増してくるもので、その表皮剥脱が生前に生じたかどうかは、皮内出血を認めうるかどうかによつて判定されるのであるから、褐色調であるからというだけで直ちに皮内出血があつたということにはならないとしており、同じ新証拠である上田鑑定書(一)及び上田証言も同旨の意見である。

古畑鑑定書同様、革皮様化の色調により生前の損傷と死後のそれを区別し得るとする鈴木証言(二)は、「死後の場合は、黄色い、黄褐色の革皮様化になります。そこに皮内出血がありますと、下が脂肪であつても褐色の革皮様化ができる」としているが、牧角鑑定書は「革皮様化というのは、表皮剥脱を生じている部分が死後の乾燥によつて、黄褐色から赤褐色もしくは暗褐色調を呈するようになり、しかもなめし革のように硬化している状態を指す用語である。死後に生じた損傷では黄色調にとどまることが多い。」とし、内藤意見書は「表皮剥脱(革皮様化部)の色調によつて生前死後の判定を下すことは全く不可能ではなく、赤色調が明らかにみられれば大凡生前のものとみることができ、また、蒼白(古畑鑑定の表現)ないしは淡黄褐色(所謂薄飴色)の場合は死後の疑いを持つことは経験的にいえるが、法医学の成書は必ず加割し(割検し)皮内皮下の出血の有無を確かめなければならないと教えている」としているのであつて、これらは要するに、革皮様化の色調が生前死後の判定の一応の目安となるものとしても、赤色調が明らかに認められれば大凡生前のもの、蒼白ないしは淡黄褐色(所謂薄飴色)の場合は死後の疑いを持つという程度(内藤意見書)、あるいは、死後に生じた損傷では黄色調にとどまることが多い(牧角鑑定書)というにすぎず(なお、牧角証言は、革皮様化の切迫しているところの真皮層の所見や顕微鏡的な検査をしないと本当に出血があつたかどうか断定できないとする。)、結局、鈴木証言(二)のいうように、死後の場合は黄褐色、生前の場合は褐色と、革皮様化の色調だけで区別が可能であるとはいえず、法医学上は切割して皮内出血を認めることができるかどうかによつて、はじめて生前か死後かの判定をなし得るものと認められる。

そうすると、鈴木鑑定書には革皮様化部に皮内出血を認めた旨の記載はなく、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)によると、革皮様化の断面を切開して皮内出血の有無を確認していないことが認められるから、胸部外表の革皮様化の色調が褐色であることは胸部損傷の時期が生前(頸部絞扼前)であることの確実な根拠とはなし難いというべきである。

3古畑鑑定書は、被害者の胸部損傷が生前(頸部絞扼前)のものである根拠として、さらに、左肺の膨大部出血は生前に外力が作用した結果であることも挙げている。

これに対して、原決定は、左肺の膨大部出血が外力の作用によるものとする見解が成り立つためには、左胸部外表の革皮様化部、大胸筋等の挫滅部及び第四肋間の穿孔部と左肺上葉前下縁の出血膨大部とが位置的に合致することが当然必要となるが、この点について鈴木証言(二)は、「大体合う」とする程度で、解剖時の所見としては、肋間筋穿孔部の創底には肺を認めただけで出血膨大部を認めてはおらず、位置が一致することはない、としているのであつて、鈴木検調(一)が述べる、呼吸によつて肺の位置は上下に移動するから位置的な範囲は相当動く可能性があるという点を考慮しても、合致していなかつたと認めるのが相当である、としている。

しかし、解剖時の所見として肋間筋穿孔部と左肺上葉前下縁の出血膨大部とが合致していなかつたとしてあつても、鈴木証言(二)は両者の位置は大体合うとしていること、左肺上葉下縁の膨大部出血が外力の作用によるものであることを否定する立場に立つ鑑定も、太田鑑定書(一)が「この部分は、第四肋間の肋間筋挫滅部分におおよそ相当するものであると考えても大きな誤りはないように思われます。」と対応関係を認めているほか、両者が位置的に合致しないことを右膨大部出血が外力の作用によるものでない理由として積極的に挙げているものがないこと、呼吸等によつて肺の位置が上下に移動すること、死体の発見された現場が三五度位の傾斜地であることによる対応部位のずれ、打撃の方向による対応部位のずれ等を考慮すると、左肺上葉前下縁の出血膨大部に関するかぎり、、対応しないとまではいうことはできず、両者の位置関係だけから、左胸部外表の革皮様化、大胸筋等の挫滅部及び第四肋間の穿孔部と左肺上葉前下縁の出血膨大部が同一の外部の打撃によつてできた可能性を否定するのは相当でないというべきである。

そうすると、原決定にはこの点において事実誤認があるが、後記のように、当裁判所も、左肺に出血膨大部が存在することから生前に外力が作用した結果であると断定することにはなお合理的な疑いがあると考えるので、結局、原決定の右事実誤認は決定の結論に影響を及ぼさないというべきである。

4鈴木鑑定書は、解剖時における被害者の胸部損傷につき、「胸部において、左乳嘴の下方に〇・七及び一・〇センチメートルの類四角形の褐色の革皮様化が二個上下に並んで認められる。表皮剥脱を伴い、方向は左方に向かう。下方のものの内側にほとんど接続して、横に二・〇×〇・七センチメートル大の同様な革皮様化及び表皮剥脱を認めるが、腫張及び出血は認めず、骨折は触知されない。前傷の周囲には半ごま粒大の表皮剥脱を認める。胸壁の皮膚筋肉を剥離すると、左乳嘴下方の革皮様化の内部は、表皮と脂肪層を残すのみで、筋肉は挫滅し、第四肋間で胸骨左縁より三・五センチメートルの部分から第四肋間に沿い左上方に約四センチメートルの範囲で肋間筋が消失し、肋膜腔に穿孔しているが、筋肉内には凝血は認められない。創縁は凹凸不整で創底には肺を認める。左右両肺は淡い桃色で後壁に近いほど紫色となり、濃色となる。左肋膜腔内には淡赤色ほぼ透明な液体少量を認める。左右とも肺肋膜下に針頭大の溢血点を多数認める。左肺上葉の前下縁より約三センチメートルの部分が小指頭大に濃赤紫色を呈し、膨大している。膨大せる部分を切開すると、内部に出血を認めるが、凝血は認められない。肺の割面はやや濃色で、含気量普通で血量やや多い。胸部の肋骨内面に異常はなく、肋骨に骨折はない。左胸部の損傷には出血等の生活反応が全く認められないことから、死後のものと考えられる。」としている。

これによれば、被害者の胸部損傷は、外部から内部に向かつて、左胸部外表の革皮様化、大胸筋等の筋肉挫滅部、第四肋間筋の穿孔部といつた高度の損傷があるのに、それらの筋肉内等には、一見してわかるような筋肉内出血、凝血等の生活反応が全く認められなかつたのであり、また本件損傷の位置及び被害者の死体の状況から考えて、本件損傷からの出血が体外に流出した可能性は考えられないのに、胸腔内(肋膜腔内)にほとんど血液が認められず(牧角鑑定書、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)のいうように、左肋膜腔内の淡赤色はほぼ透明な液体を血液ないしその血清成分とみるとしても、その量は「少量」にすぎない。)、これらの創底にのみ、古畑鑑定書等が生前受傷の大きな根拠とする肺の出血膨大といつた生活反応が出現するのは理解し難いことであるといわねばならず、後記のように、左胸部外表及び筋肉の各損傷部分に生活反応が出現しないことにつき納得し得る理由もなく、さらに肺の膨大部出血の成因を外力以外の原因で説明することも可能である以上、左肺に出血膨大部が存在することをもつて生前に外力が作用した結果であると断定することにはなお疑問があるといわなければならない。

所論は、左肺の膨大部出血の成因を肺実質内出血巣とする井上鑑定書、肺気腫とする内藤意見書、内藤道興作成の捜査関係事項照会に対する回答書謄本につき、「窒息死の場合の溢血点、出血点は両肺全体に現われなければならず、そのような溢血点で自分が経験したのは一番大きくて精々米粒大である。窒息の際の肺気腫は、肺全体の病状であり、一部分だけ、限局的に血が小指頭大に貯留するほど出血することはあり得ない。本件死体の場合、肺の含気量は普通であり、肺全体として肺気腫の状況はなかつた。」とする鈴木証言(二)等を援用してそのような具体的可能性があるとは到底言い難いとして非難する。

しかし、肺気腫が肺全体の病状であるとは限らず限定的な肺気腫もあり得ることは牧角意見補充書も認めるところであり、同補充書の引用している藤原教悦郎著「新法医学」(第二版)も「時として窒息の場合、急性肺胞性気腫を来たすことがある。……或時は全肺が一様に気腫状を呈していることがあり、或時は一部分に限局性に気腫状を呈していることがある。限局性の場合には、肺の前縁と下葉にある事が多い。」としているのであつて、鈴木証言(二)等のこの点に関する非難は首肯し難く、肺全体として肺気腫の状態になかつたとしても、直ちに限局的な肺気腫を否定する根拠とはならないと思われる。また、窒息死の場合の溢血点で同鑑定人が経験したものは大きくてせいぜい米粒大であるとしても、同鑑定人の経験外の現象として、もつと大きい溢血点を生じたことがないとはいえず、同鑑定人が経験しなかつたということが直ちに井上鑑定書の見解を完全に否定する根拠とはならないと思われる。なお、所論は、内藤道興作成の捜査関係事項照会に対する回答書謄本の「解剖所見上は右肺上に膨大部があつたとの記載はないが、(中略)左右肺にこれ以外に出血を伴わない気腫の存在した可能性がある。他方一般的に言つて左右の肺所見が常に一致するものでは決してないのであつて、不自然なことではない。」との見解は、被害者の死体を実際に見ていない者の推測に基づく合理的理由のないものであると非難するが、原決定は右回答書謄本の「左右肺にこれ以外に出血を伴わない気腫の存在した可能性がある。」との見解を証拠としていないし、原決定が証拠とした「左右の肺所見が常に一致するものではない」との部分は、本件被害者の死体を見た者でなければ意見を述べられない性質のものではないから、所論の非難は必ずしも当たらないというべきである。

5古畑鑑定書は、「本件の被害者のような幼少のものは、まだ血管の発達が十分でなく、毛細血管における血圧が成人のように大きくないために、生前に受けた損傷であるにかかわらず、皮下出血がほとんど見られないことがある。」としているのであるが、太田鑑定書(一)及び太田証言は「皮膚乳頭層に毛細血管が完成していないような子供であれば生活反応がでにくいといえるが、乳頭層に毛細血管が完成する年令以上であれば生活反応に関する範囲では大人並に考えてよい。六歳ともなると皮膚毛細血管は成人と同程度に完成されているといつても過言ではない。日本人人体正常数値表によると六〜七歳児の最高血圧一〇八・〇、最低血圧は一〇・六となつている。六歳位の子供故に生活反応が出現し難いというのは科学的根拠に乏しい。」としており、上田鑑定書(一)も「太田鑑定書(一)で述べられていると同様六歳児では既に毛細血管も充分大人と同様発達しているため筋内出血がないのは死後の傷だと考うべきだとしている意見に同意する。皮膚毛細血管は乳頭層が完成したときに完成し、小児では三、四歳で皮膚の毛細血管は完成するといわれる。従って六歳の小児では大人の毛細管の発達と大差ないであろうと思われる。中尾享『小児の正常値』小児医学講座七巻二〇四頁によれば、六歳児の最高血圧は一二四mmHg、拡張期血圧86mmHgとなつている。日本人人体正常数値表二二四頁の植山一郎測定の数値によれば、五〜六歳児では最高血圧一〇九・〇mmHgである。しかし、同書同頁には種村戌測定の成績が記載されており、それによれば、六歳女の最高血圧は七四・二mmHgで最低血圧は五〇・三mmHgとかなり低い成績が出ている。しかし、比較的最近の前者の成績では一二〇mmHg前後と思われ成人とあまり大差がない成績と考うべきである。なお、私の解剖鑑定の経験によると六歳女子の皮下出血は成人と同じ程度に起るものと解釈すべきである。」としていることを考え合わせると、本件被害者のような六歳児の場合、生活反応(皮下出血)が出にくいとする古畑鑑定書の見解には疑問が生ずるといわざるを得ない。

所論は、原決定が証拠とした太田鑑定書(一)及び太田証言は、太田証人自身が「私が説明したような理由ではどの書物でも説明しておりません。」などと述べていることからも明らかなように個人的な仮説にすぎず、鑑定書としての信憑性は著しく低い、上田鑑定書(一)についても太田意見書に同意するとするだけであり、しかも小児の毛細血管の完成する時期を三、四歳とし太田鑑定書の五、六歳と食い違つており、確たる根拠のあるものとはいえず、古畑鑑定書を覆すに足りるものではない、と主張する。

まず、太田証言のいう、「私のいうような理由ではどの書物でも説明していない」ということの意味は、太田証言によれば、法医学の書物では血管の発達とか乳頭層における毛細血管の完成の時期について説明していないという意味であり、法医学以外の教科書とか解剖学の書物にみな書かれていることであつて私だけの独断ではないというのであるから、太田鑑定書(一)及び太田証言の見解が個人的な仮説にすぎないなどとはいえない。上田鑑定書(一)は、所論のように太田鑑定書(一)に同意しているだけではなく、上田鑑定人の永年の解剖鑑定の経験に基づき、かつ、各種の文献を参照して鑑定したものであることは、さきに引用した部分だけからでも明らかであるし、小児の血圧についても、太田鑑定が参照している植山一郎測定の数値のほか、中尾享・小児医学講座所収の測定値や種村戌の測定値を比較して検討しているのであつて、上田鑑定書(一)が単に太田鑑定書(一)に同意しているだけでないことは明らかである。また、太田鑑定書(一)及び太田証言は、小児の皮膚毛細血管が五、六歳で完成するとしているのではなく、五、六歳ともなればもう完成しているという趣旨であり、「三つ四つ以下であれば大人より出にくいということは言えると思います。」としていることをも考え合わせると、上田鑑定書(一)と食い違いはないと認められるから、所論の非難は当たらないというべきである。

次に、所論は、太田、上田両鑑定書(一)はいずれも「日本人人体正常数値表」を引用しているが、同表には両鑑定書の引用する植山一郎測定にかかる数値以外に、種村戌の測定成績が掲載されており、これによるとかなり低い数字が示されているのであつて、両測定の数値はかなりの食い違いをみせているのであり、少くともこの文献の引用をもつて「成人とあまり大差がない。」などと断定することはできず、原決定の判断は誤りである、と主張する。

しかし、所論の指摘する種村戌の測定成績は大正一〇年のものという古い数値(植山一郎の測定成績は昭和二七年)であつてどこまで信を置き得るか疑問であるだけでなく、上田鑑定書(一)は植山一郎測定の数値のほか中尾享「小児の正常値」小児医学講座七巻二〇四頁の測定値(昭和四三年)をも参照していることが明らかであり、これによれば六歳児の最高血圧は一二四〜九四mmHgとされているのであり、その平均値は示されていないが上限と下限を単純平均すると最高血圧の平均値は一〇九mmHgとなり植山一郎の測定値とほぼ一致するのであり、上田鑑定書(一)は比較的最近のこれらの数字により成人と大差がないとしているのであつてその判断に誤りがあるとは認められない。

6以上のとおり、古畑鑑定書が被害者の胸部損傷が生前(頸部絞扼前)のものである根拠として挙げている理由は、根拠が十分でないかあるいは疑問を抱かざるを得ないのであるが、鈴木検調(一)等及び牧角鑑定書等のように古畑鑑定書同様被害者の胸部損傷が生前のものであるとする見解が挙げているその他の根拠についても検討しておく。

鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)並びに牧角鑑定書及び牧角証言は、左肋膜腔内の淡赤色の液体は、肋間筋の断裂部や大胸筋等の挫滅部から出た血液の血清であるとし、あるいはそこから出た血液によつて淡赤色になつたものとし、このような出血は生活反応であるとするが、右淡赤色の液体が血液ないしは血液の混入を示すものであるとしても、太田意見書及び内藤意見書も指摘するとおり、第四肋間筋の死後損傷からの血液就下とも考えることができるから、生活反応の十分な根拠とはならないというべきである。したがつて、これと同旨の原決定の認定は正当である。

7鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、被害者は、陰部からの大量出血や姦淫を受けたことによる恐怖と緊張で生活反応が出にくい状態にあつた、としている。

右のうち、被害者の死体が陰部からの生前出血により貧血状態にあつたと認められることは、陰部損傷の時期の項において検討したとおりであるが、他方鈴木鑑定書に「外陰部の裂創よりも出血はしたが致命的な大出血とは思われない」「本裂創よりの出血は放置すれば相当量有るものと考えられるが致命的な大出血を来すことは稀であると思われる。」との記載があること、前頸部の傷には皮下出血が認められること、太田意見書によれば、鈴木鑑定書の内部検査の項には「心臓を摘出するに心臓周囲の大血管より……暗赤色流動性の血液多量に流出す。」、「肺の割面稍々濃色で……血量稍々多い。」、「肝臓は……血量多い。」、「脾臓は……僅かに血量多い。」と記載があつて、各臓器とも程度の差はあるが、いずれも血量が多ことから、生活反応が出現しない程度の貧血状態にあつたということには疑問があるとしていることから考えると、被害者は生活反応が出現しにくい程高度の貧血状態にはなかつたとと認めるのが相当である。次に、鈴木検調(一)等が被害者は姦淫を受けたことによる恐怖と緊張で、生活反応が出にくい状態にあつたとする点については、単なる可能性または裏付けのない推測に止まるというべきである。

なお、所論は、原決定は、解剖の際の検査が不十分で自分の手落ちにより、生活反応を示す出血所見を見逃したかも知れないとする鈴木検調(一)等を、鑑定書に何も記載がないから証拠評価上の意味は乏しいとして排斥しているが、鑑定書に記載がなければ、直接解剖にあたつた解剖医の証言も証拠評価上の意味が乏しいとして排斥するのは不当であると主張する。

そこで、検討するに、右の点に関する原決定の表現に、一部誤解を招くおそれがないとはいえないが、その趣旨とするところは、「組織間出血の最も生じやすい恥骨縫合部の裏側に切開を加える等の方法で検査していないため組織間出血がなかつたとはいえない」とする鈴木証言(二)(原決定一〇九頁)につき、その部分につき切開を加える等の方法で検査し、組織間出血を確認していない以上、右証言は組織間出血があつたことの積極的肯定の証拠とすることはできないし、また組織間出血がなかつたということの積極的否定の証拠ともならないから、証拠評価上いずれの方向にも積極的な意味はないという当然のことを述べているにすぎず、原決定一三八頁の判示も同様の趣旨であると認められるから、所論の非難は当を得ない。

8鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、裂創の場合と同様、肋間筋が断裂した場合には筋肉内出血を残さないことがあり得るとするが、太田意見書は裂創や表皮剥脱の場合は生前の損傷でも傷の性状から組織間出血とはならないとする見解を現解しがたいとしていること、上田証言は、裂創の場合につき、生前にできたとすれば、血管断端から外へ出る血液もあるが、周囲の組織へしみ込む血液が必ずあるはずであるとしていることを考慮すると、右鈴木検調(一)等の見解には疑問が生ずるのである。仮に鈴木検調(一)等のいうように肋間筋断裂の場合、筋肉内出血が出にくいことがあるとしても、本件被害者の胸部損傷は、胸部外表の表皮剥脱(革皮様化)のほか、大胸筋等の挫滅及び肋間筋穿孔を伴う高度の損傷であつて、これら全てにつき生活反応がないことの合理的説明とはならないのである。

9以上のとおりであつて、胸部損傷の時期を生前(頸部絞扼前)とする見解が根拠としてあげる点は、いずれも根拠として十分でないか疑問があり、胸部損傷の時期を生前(頸部絞扼前)とする古畑鑑定書の判断に合理的な疑いを生ずるものといわざるを得ない。

第二陰部損傷の成傷用器について

一確定判決の認定

確定判決は、罪となるべき事実において、請求人は、やにわに被害者をその場に押し倒し、泣き叫ぶ同女の下半身を裸体にし、その上に乗りかかつて姦淫し、その結果同女に外陰部裂創等の傷害を負わせた、と認定しているのみであるので、被害者の陰部裂創等の傷害は姦淫によつて生じたもの、すなわち、被害者の陰部損傷の成傷用器は、請求人の陰茎であるとしたものと認められるところ、確定判決が右の認定をした証拠が請求人の自白であることは明らかである。したがつて、確定判決はこの点について、請求人の自白が事実であると認めていたのであり、請求人の自白が客観的事実と齟齬するとか、請求人の自白の信用性に疑いを抱くべき契機が存するとは考えていなかつたことは明らかである。

二新証拠と新規性

弁護人は、陰部損傷の成傷用器に関する新証拠として、差戻前の原審において北条鑑定書、太田鑑定書(一)及び上田鑑定書(一)を、差戻後の原審において太田意見書及び内藤意見書を提出した。これらの各鑑定書及び各意見書が新規性のある証拠といえるとする原決定の判断が是認できることは前述のとおりである。

三1陰部損傷に関する新証拠及び旧証拠並びに差戻前の原審及び差戻後の原審において取り調べられたその余の各証拠を総合して検討すると、陰茎挿入に関する請求人の自白の真実性に合理的疑いが生ずるとした原決定の判断を当裁判所は是認することができず、原決定はこの点について事実を誤認したものと認められる。以下、その理由を説明する。

2鈴木鑑定書は、被害者の陰部損傷の状況につき、「外陰部は開し会厭部より肛門周囲に乾血と共に出血を認める。陰裂より上方には血液付着せず。陰部は高度なる裂創を認め、膣前庭、小陰唇は形が無く、大陰唇の大部分も表皮なく皮下組織が露出している。肛門に約〇・五糎の部分迄裂創を認める。膣肛周囲に於ては上下に約四糎、左右に約三糎の卵形に皮膚組織露出し右大陰唇に於ては露出せる皮下組織面に約一糎の筋肉内に達する(外部より内部に向う)創を認める。後膣壁も裂創を認め正常なる膣粘膜なく筋肉露出す。小子宮鏡を挿入するに容易であるが、膣内には血液の少量を認めるのみで膣粘膜は後壁に於て膣穹隆部迄完全に裂創を認める。(中略)子宮、卵巣に異常ないが、膣壁より左ドーグラス氏窩に向かい裂創を認めるが腹腔内には達していない。膣穹隆部の裂創内には凝血を含んでいる。」としている。

3被害者の陰部損傷が陰茎のみによつて生じうるかどうかにつき見解が分かれている、陰茎のみによつて生じ得るとするのは鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)並びに牧角鑑定書及び牧角証言である。

鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、膣孔入口から膣穹隆部に至るまでの裂創と膣前庭、小陰唇、大陰唇の皮下組織露出は陰茎によつてできた、皮下組織の露出は接触面のやわらかいもので表皮が巻き込まれるようになつて剥離し、皮下組織が露出した、被害部の膣孔付近に陰茎の亀頭部を没入させ、腰を使つたピストン運動が行なわれると、きしんで周辺のもろい表皮や結締織を巻き込み大きな表皮欠損が生ずる、大陰唇の筋肉内に達する約一センチメートルの創は、陰茎が無理に挿入された際に表皮から粘膜への移行部分が巻き込まれ、膣孔内に押し込まれた大陰唇の表面にひつぱりの力が加わり、そのために生じたとも考えられるし、陰茎とは別に手指の先を挿入した時に生じた可能性もある、としている。

次に、牧角鑑定書及び牧角証言は、当時二五歳の成人男子の陰茎の挿入によつて被害者の陰部損傷が生じたとみることは可能であり、その場合、勃起した陰茎を無理に挿入しただけでなく、相当激しい擦過的かつ圧挫、圧排的な前後運動をくり返すことによつて発生したとしている。

これらの説明、とくに鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)の説明は、本件陰部損傷の成傷機転を合理的に説明するものといえる。

原決定も、被害者の陰部損傷が陰茎のみによつて生じ得るとする鈴木検調(一)等の見解を肯定しているのであるが、しかし、原決定は、請求人の自白は、鈴木検調(一)及び牧角鑑定書のいうように、勃起した陰茎の亀頭部を無理に膣孔に挿入したうえ、相当激しく前後運動をくり返したことを含む趣旨の供述であるとみることには無理があり、被告人の自白の内容からすれば、右牧角鑑定書及び鈴木検調(一)が述べるような成傷機転を前提として陰部損傷が生じたとする見解はにわかに採用し難い、としているのである。

ところで、原決定の引用する請求人の司法警察員に対する昭和二九年五月三一日付供述調書によると「自分の大きくなつた陰部を女の子のおまんこにあて右手で持つて押しあて腰を使つてグツと差し入れました。半分位入つたと思います。女の子はもがき乍ら、痛い、おかあちやん、と力一杯泣くので、左手では押え切れなくなり、私は構はず腰を使いましたが余り暴れるので思うように出来ず、私は、やつきりして、おまんこをやめて……」というのであり、要するに、自分の勃起した陰茎を女の子の陰部に腰を使つて差し入れたところ、半分位入つた、女の子はもがきながら、痛い、おかあちやんと力一杯泣いたが、「私は構はず腰をつかいました」というのであるから、構わず腰を使つたということの意味は、女の子がもがいたり、泣いたりするのも構わず、腰の前後運動をくり返したということを意味すると解し得るのであつて、請求人の右自白が相当激しい前後運動をくり返したことも含む趣旨の供述であるとみることには無理があるとする原決定の認定は誤りであるといわなければならない。

4次に、原決定は、「加えて、上田証言及び内藤意見書も指摘しているとおり、未発達な浅く狭い女児の膣に裂創等の損傷を与えながら、陰茎を無理に挿入するわけであるから、このような場合陰茎に著明な疼痛を感じるし、亀頭表皮や陰茎包皮に損傷をこうむることもあり得るのに、請求人の自白調書には、性交に伴う陰茎の疼痛や損傷について触れられていない。この点は本件が幼児に対する強姦致傷という特殊な事件であることに鑑みると言及するのが当然であり、かつ容易に説明することができる事柄であると思われるのに、何ゆえ説明が欠落しているのか不審といわざるを得ない。」としている。

しかし、そのような事柄は特に請求人に有利なことではないから、仮にそのような事柄があつたとしても、取調官から尋ねられないのに請求人の方から当然に言及するとも思われず、少なくとも言及しなかつたことから直ちにその自白が信用性を失うという類のものではない。しかも、幼児強姦に関する裁判例である東京高裁昭和五三年一二月二二日判決・東京高等裁判所刑事裁判速報二三二四号の引用する鑑定人上野正吉の鑑定結果によると「幼児の場合には将来膣となる部分の筋肉組織が未発達であつて柔かく、正常位で大人の行なう性行為位の力で陰茎を挿入することが可能であり、この場合膣から肛門付近にかけて裂創を生ずる。」とされているのであつて、「膣穹隆部まで陰茎が入つているとしたら、無理やり入れたということで膣裂創ができてしまうほどであるから、陰茎の先にも損傷を負う。」とする上田証言及び「挿入に際してかなり強い抵抗と陰茎に著明な疼痛を感ずるし、亀頭表皮や陰茎包皮に損傷をこうむることがあり得る」とする内藤意見書の各見解は、前記認定に影響を及ぼすほどのものではないといわなければならない。

5以上のとおりであつて、陰茎挿入に関する請求人の自白の真実性に合理的疑いを生ずるとした原決定は事実を誤認したものといわなければならない。

第三胸部損傷の成傷用器について

一確定判決の認定

確定判決は、罪となるべき事実において、請求人が「本件石を右手に持つて被害者の胸部を数回強打した」旨認定しており、同判決が右事実を認定したのは、その旨の請求人の自白が古畑鑑定によつて裏付けられたことによるのであつて、同判決はこの点も、前記第一と併せて請求人の自白の信用性を肯認する重要な根拠としていたと認められる。

すなわち、請求人の自白は、本件石で被害者の左胸部を二、三回あるいは数回力一杯殴りつけた、というのであり、請求人の自白より前に作成されていた鈴木鑑定書は、左胸部損傷の成傷用器は、鈍器とのみ判定されるが、それ以上は判定困難であるとしていたのに、請求人の自白によつて本件石が発見・押収された後に作成された古畑鑑定は、1本件石は、これをつかんで殴打するには手頃な大きさである、ことにその先端が鈍円をなして突出しておることは、本件被害者の胸部の傷を生ずるのに適合するように思われる、2鈴木鑑定書9項記載の胸部の傷(表皮剥脱及び革皮様化)は本件石で殴打すればできると判定する、その打撃は相当強かつたと思われるが、子供の骨は弾力性が強いので骨折はなくてもよい、3胸部外表の損傷と内部の傷(肋間筋消失、肺膨大部出血等)は同じ性質の打撃に基づいてできた一連のものである、としている。

右のように、胸部損傷の成傷用器の点についても、古畑鑑定が請求人の自白の裏付けとなつているのであるが、本件石のどの部分が被害者の胸部にどのように当たつて本件のような損傷ができたかという詳細については、古畑鑑定は説明を加えていない。

二新証拠と新規性

弁護人は、被害者の胸部損傷の成傷用器に関する新証拠として、差戻前の原審において、太田鑑定書(一)(二)及び上田鑑定書(一)、原抗告審において助川鑑定書、差戻後の原審において太田意見書、太田意見補充書(二)及び内藤意見書を提出したが、これらの各証拠のうち、助川鑑定書は、原第一審判決確定以後に作成されたもので、かつ、その内容等に照らし新たに発見されたものといえるから、新規性のある証拠ということができるとする原決定の判断は是認でき、その他の各鑑定書、各意見書及び意見補充書が新規性のある証拠といえるとする原決定の判断が是認できることは前述のとおりである。

三1胸部損傷の成傷用器に関する新証拠及び旧証拠並びに差戻前の原審及び差戻後の原審で取り調べられたその余の各証拠を総合して検討すると、新証拠により胸部損傷の成傷用器が本件石であることに合理的な疑問が生じたとする原決定の判断は、その限度においては、当裁判所もこれを是認することができる。以下、その理由を説明する。

2鈴木鑑定書及び鈴木検調(一)によると、被害者の胸部外表の損傷の状況は次のとおりである。

胸部左乳嘴の下方に類四角形(角が丸みを帯びた正方形様のもの)の褐色の革皮様化(表皮剥脱)が二個上下に並んで認められ、上方のものが、〇・七×〇・七センチメートル(以下、この損傷を「A」という。)、下方のものが、一・〇×一・〇センチメートル(以下、この損傷を「B」という。)である。AとBとの間には損傷のない部分が残つている。Bの内側にほとんど接続して横に二・〇×〇・七センチメートルの同様な表皮剥脱及び革皮様化(以下、この損傷を「D」という。)がある。鈴木鑑定書には「前傷(Dのこと)の周囲には半ごま粒大の表皮剥脱を認める。」とあるが、牧角鑑定書も指摘しているように、Dの上に半ごま粒大というより半米粒大の表皮剥脱(以下、この損傷を「C」という。)がある。そして、Dの下に、向かつて左上から右下の方へ点々と並んでいる表皮剥脱群(以下、この損傷を「E」という。)がある。腫脹及び出血は認めず、骨折は、触知されない。胸部のその他には異常はない。

次に、鈴木鑑定書は、胸壁内の損傷の状況につき、「左乳嘴下方の革皮様化の内部は、表皮と脂肪層を残すのみで筋肉は挫滅し、第四肋間で胸骨左縁より三・五糎の部分から第四肋骨に沿い左上方に約四糎の範囲で肋間筋が消失し、肋膜腔に穿孔しておるが、筋肉内には凝血は認められない。創縁は、凹凸不整で創底には肺を認める。(中略)左肺上葉の前下縁より約三糎の部分が小指頭大に濃赤紫色を呈し、下葉の後下縁の部分は拇指頭大に濃赤紫色を呈し膨大している。膨大せる部分を切開するに内部に出血を認めるが凝血は認められない。(中略)胸部の肋骨内面に異常なく肋骨に骨折なし。」としている。なお、鈴木証言(一)によれば、肋骨の骨膜の表面にも異常は認められなかつたという。

この被害者の胸部の傷は、胸壁内側の大胸筋等が挫滅し、肋間筋が消失していることから考えると、極めて強い外力が働いたものと推認されるのに、肋骨に骨折やひびといつた損傷は一切なく、かつ、その骨膜にも異常が認められない等の点において、極めて特異な損傷であるといわなければならない。

古畑鑑定は、前記のように、本件石は、被害者の胸部の傷を生ずるのに適合するとしているが、本件石のどの部分がどこにどのように当たつたのか、大胸筋等挫滅や肋間筋の消失、左肺膨大部出血の損傷がどのようにして生じたかについて、なんら説明しておらず、ただ子供の骨は弾力性が強いので骨折はなくてもよいとしているのみである。

3新証拠である太田鑑定書(一)(二)によると、本件石でA、B、Dの表皮剥脱はでき難いように思われる、また第四肋間筋を挫滅させて筋を消失させるような強い作用を及ぼしているからには、相当強く打撃されたものと断定されるが、第四、第五肋骨の間隔が約一センチメートルであるのに、たとえ肋骨に弾力性があつたとしても第四、第五肋骨が全く損傷を受けていないというのは不自然である、日本人七歳女児の平均値より大きめに胸廓の一部模型を作り、その第四肋間に模型石(本件石と同じ形状に作つたもの)の先端部分を当ててみると、肋間の表層(浅層)は石によつて挫滅され得る可能性はあるが、下層(深層)は挫滅等の影響を受けないことが判然する、もし、下層が挫滅される場合は当然第四、第五肋骨も挫傷を受けるはずで、本件のように、肋骨に損傷がなくて肋間筋が挫滅されて肺に達するということは、本件石では形成されないと思考する、というのであり、上田鑑定書(一)によると、胸部に一撃を加えそれによつてすべての胸部の傷が生じたと仮定した場合、本件石ではこのような傷のできる可能性はほとんど皆無であろう、胸部に二、三撃を加えそれによつて胸部の傷ができたとした場合、本件石に類似のかなり重量のある角のある兇器で、しかもある面に溝のあるような兇器であろう、しかし、本件石では肋間の表層にのみ達するだけであつて、第四肋間に穿孔をきたすのは著しく困難であるという太田鑑定(二)の実験に基づく意見に賛成である、というのであり、助川鑑定書は「本件石のように固い物体で被害者の胸部を力一杯殴打したならば表皮は剥脱し、内に硬固な骨があればその直上の皮膚は挫裂する場合もあり、皮下脂肪や筋肉等の軟部組織は挫滅する。(中略)即ち、外表から内部臓器にいたるまで連続的な損傷が惹起される(但し、肋骨では骨膜や肋膜に出血が来ても骨折を生じない場合もあるが)。」とし、内藤意見書は「本件左胸部の成傷器及びその用法について明確に推定することは困難であるが、少なくとも本件石による打撃とすべき根拠はないと考える。」とし、いずれも、被害者の胸部損傷の成傷用器を本件石とすることに疑問を呈している。

4これに対して、本件石が本件胸部損傷の成傷用器であるとし、あるいは本件石で本件胸部損傷を生ぜしめることは可能であるとするのは、鈴木検調(一)、鈴木証言(二)、牧角鑑定書、牧角意見書、牧角証言、及び井上鑑定書である。右鈴木検調(一)ないし牧角鑑定書は、肺膨大部出血を含む胸部損傷の全てが本件石による打撃によつて生じたあるいは生じた可能性があるとし、井上鑑定書は、外表部の損傷は本件石によるものであるが、胸廓内部の大胸筋及び第四肋間の肋間筋の消失は、嫌気性の有芽胞菌(クロストリジュウム菌類)によつて生じた体内組織の崩壊(消化)によるとしている。

これらをさらに詳しく検討すると、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、本件石で胸部損傷が生じた可能性が十分あつたとする、すなわち、たたきつけられた本件石の細目の稜線が肋骨を上下に押し分けるようにして第四肋骨に押し込まれ、本件石が第四肋骨を上下に押し開き、肋間筋が上下の方向にひつぱられて真ん中で断裂した、そのとき石の表面と第四肋骨の下縁及び第五肋骨の上縁との間で表皮がはさまれてこすれ、表皮剥脱ができ、左胸部右側のA、Bの革皮様化となった、打撃の回数は二回であり、向かつて右側のA、Bの革皮様化が一撃で生じ、向かつて左側のDの革皮様化がもう一撃でできた、この向かつて左側の革皮様化は第五肋骨の方だけがこすれて、第四肋骨の方にはあまり力が加わつていない、とする。

牧角鑑定書、牧角意見書及び牧角証言は、本件石で左胸部損傷を生じさせることは可能である、左胸部外表の革皮様化した表皮剥脱群は、左胸部に対し鈍体がほぼ前方から後方へ向かう形で強く打撲的、圧挫的に作用して生じたものである、第四肋間の穿孔部は、左胸部に加えられた鈍体の打撲的衝撃によつて、第四肋骨は上方へ、第五肋骨は下方へ、と押し広げられるように凹み、第四肋間筋の断裂が生じた、被害者は六歳三か月の幼児であるから、左胸部に強い打撃的衝撃を受けた際、胸廓が急激に、しかも相当な深さにまで圧し下げられることは十分可能であり、左肺の膨大出血部は左胸部に加わつた鈍体の打撲的衝撃によつて生じた、胸部損傷の成傷用器としては、硬固な鈍体で、その接触面はざらざらした粗面をもち、特異な凹凸部分が存在するものが推定される、本件石を用いた場合、向つて右側のA、Bの革皮様化の一群と向かつて左側のC、Dの一群は、本件石の凹みのある個所による打撲的作用によつて生じたとみて不合理なところはない、さらに向かつて左側のEの損傷も本件石の打撲的作用が前記二群のときより弱ければ生じ得る、としている。

まず、右牧角鑑定書等のいう、被害者の胸部外表の損傷が本件石の凹みのある部分でできるとする点については、同鑑定人が本件石を油粘土面に圧しつける小実験をしその圧痕を検討した結果によるのであるが、本件胸部損傷が胸部外表の平面的な損傷にとどまるものならばともかく、同鑑定人によれば、胸廓内部の大胸筋等挫滅、肋骨筋穿孔、左肺膨大部出血も胸部外表の損傷と同一の鈍体の打撲的衝撃によるものであり、第四肋間の穿孔部は、第四肋骨が上方へ、第五肋骨が下方に押し広げられるように凹み、第四肋間筋の断裂が生じ、また、左肺膨大出血部は左胸部の打撲的衝撃により胸廓が急激にしかも相当な深さまで圧し下げられて生じ、その打撲的衝撃は非常に強い力が働いたとみなければならないとするのであるから、本件石と胸部外表との接触範囲は、同鑑定人による実験の程度に到底止まらないのではないかとも考えられる(牧角証言調書添付の図面1、2参照)。したがつて、本件石の凹み部分で胸部外表の損傷ができたとすることに対する疑問もなお排斥し難いのである。

鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)並びに牧角鑑定書、牧角意見書及び牧角証言は、第四肋間筋の損傷につき、鈍器(本件石)が、第四肋間を押し開き、第四肋骨が上方へ、第五肋骨が下方へと押し広げられ、第四肋間筋の断裂が生じたとし、肺実質部の損傷について、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)は、石が第四肋間を押し広げてその先端が肺実質部に直接触れることなく介達的に力を加わつたことによるとし、牧角鑑定書、牧角意見書及び牧角証言は、左胸部に加わつた鈍体の打撲的衝撃により胸廓が急激に、相当な深さまで圧し下げられることによつて肺実質部に圧挫的損傷が生じて出血巣が形成されたとするのである。

幼児の肋骨は柔軟性に富むため強い打撃を受けても肋骨骨折を来たすことが稀であることは、鈴木検調(一)及び鈴木証言(二)、牧角鑑定書、牧角意見書及び牧角証言、古畑鑑定書、西丸與一作成の捜査関係事項照会に対する回答書、原審において検察官から提出された欧文、邦文の法医学関係の各種文献(抜すいの写)によつて認められるし、西丸與一作成の捜査関係事項照会に対する回答書によれば「乳幼児の肋骨は骨膜が成人に比し厚い。」とされており、前記検察官提出の文献中の糟谷清一郎「小児骨折の治療」が「小児の骨膜は厚く弾力性がある。」としていることをも考え合わせると、小児の骨膜は成人に比し厚く弾力性があることも肯定し得る。

しかし、鈴木検調(一)等及び牧角鑑定書等のいう成傷機転は、本件石が第四肋間に押しこまれ、表皮等の組織を介して第四、第五肋骨に突き当たつて最大幅が約一・二センチメートル(太田証言)しかない第四肋間を押し開き、第四肋骨を上へ、第五肋骨を下へ押し広げる一方、肋間筋は第四肋間の離開によつて上下に伸展したうえ本件石による打力によつて押し下げられ、その結果弾性限界を越えて断裂し、牧角鑑定書等の見解では石は更に深く入つて肺に損傷を加えたということになるのであり、大胸筋の挫滅や肋間筋の断裂が生ずるためには相当強い力が働いたものとみざるを得ないことをも考え合わせると、いくら幼児の肋骨に柔軟性があるといつても第四、第五肋骨になんらかの損傷を受けるのが自然であり、仮に右肋骨自体は柔軟性があるため曲つたりして骨折を生じないことがあるとしても、少なくとも第四肋骨下縁及び第五肋骨上縁の部分の骨膜に損傷を受けるのが当然ではないかとの疑問も払拭し切れず(幼児の骨膜が厚く弾力性があるといつても、程度の問題であり、どのような打撃を受けても損傷を生じないというわけではない。)、また本件石が鈴木証言(二)添付の図8、あるいは牧角証言添付の図1、2のように胸部外表と接触したとすれば胸部外表部の損傷も本件程度に止まらないのではないかとの疑問も一概には排斥し難いところである。

次に、井上鑑定書は、胸部外表部の成傷用器は硬い鈍体で、角ばつた形のものではなく、峰や稜のある物体でもない、本件石は胸部外表部の損傷を惹起した鈍体のあるべき特徴を全て備えており、本件石は胸部損傷の成傷用器とみるのが妥当である、表皮剥脱の内部においては、大胸筋と思われる胸廓筋内にかなり大きな空洞様の組織の崩壊巣があり、これに接触する深部組織即ち第四肋間の肋間筋にも大きな組織の融解様崩壊が起つていて、その部分の胸膜も消失した結果、第四肋間において胸廓壁の穿孔を来したもののような大きな欠損を生じている、このような筋肉などの組織の融解様崩壊は、外傷によつては全く起り得ないものであつて、その空洞様崩壊が深部に至るに従つて拡大した状況になつていること、その崩壊縁が半ば融解した格好になつているらしいこと、左側胸腔内に淡赤色の液が入つていることから、これは嫌気性の有芽胞菌(クロストリジュウム菌類)によつて生じた体内組織の崩壊(消化)によるものである、としている。

しかし、上田政雄作成の昭和五一年一一月三一日付(原文のまま)鑑定書によれば、兇器である石に付着している有芽胞菌は土中にあるものがその起源であるが、土中の菌は芽胞の状態で活性がなく、発芽して栄養型菌になり増殖し菌数が増加して始めて組織の融解を起すのであり、本件のように環境温度が一〇度以下と推定される条件下において、芽胞が発芽して栄養型菌となり、増菌し毒性を出し融解現象を起すとは考えられない、本件では死体の体温が上昇する腐敗性変化は認められなかつた、動物実験の結果によると、土中の有芽胞菌のうち実際に筋肉の融解穿孔を起しうる菌はクロストリジュウムヒストリチクム菌だけであるが、クロストリジュウムヒストリチクム菌により筋肉の融解穿孔を来した場合、胸腔内液は頗る粘稠で混濁している、とされていること、鈴木鑑定書によれば、被害者の死体の体温は全く厥冷すとされており、かつ腐敗変色の記載はないこと、左肋膜腔内に淡赤色略々透明なる液体少量を認めるとされており、頗る粘稠で混濁している胸腔内液は認められていないことを考え合わせると、被害者の胸廓内部の大胸筋挫滅、肋間筋穿孔等の損傷は、嫌気性有芽胞菌(クロストリジュウム菌類)によつて生じた体内組織の崩壊であるとする井上鑑定書の見解も疑問であるといわなければならない。

そうすると、被害者の胸部損傷の成傷用器は本件石であるとし、あるいは本件石によつて被害者の胸部損傷を生ぜしめることは可能であるとする鈴木検調(一)等、牧角鑑定書等、井上鑑定書の各見解は、いずれもたやすく従い難いものであり、前記胸部損傷の成傷用器に関する新証拠が提起した本件石が胸部損傷の成傷用器であることに対する疑問を十分に解消しているとはいえない。

そうすると、被害者の胸部損傷の成傷用器が本件石であると断定することには合理的な疑いがあるといわざるを得ない。

5なお、原決定は、さらに「又、太田証言も指摘するとおり、請求人の自白にあるように、約四二〇グラムもある本件石で六歳の女児の裸の胸部を殴打した場合、その作用は、たとえ肋間の下層には達しないとしても、肋間の表層には当然及ぶとみられるから、少なくとも肋骨をとりまく骨膜に何らかの損傷を与えることは否定できないと思われるのに、骨膜の表面にも異常が認められなかつたというのであるから、外力の程度は極めて弱かつたというべきであり、本件石で二、三回或いは数回も力一杯殴りつけたとする請求人の自白は、この点においても、信用性、真実性に疑念が抱かれる。」と判示しているのであるが、前示のように本件胸部損傷の成傷用器が本件石であることに合理的な疑いがあり、本件石で極めて弱く殴打したとみれば、被害者の胸部損傷が本件石によつてなされたと認めうるわけではないから、原決定の右判示は不適切であるというべきである。

6所論は、原決定は、本件死体の肋骨や骨膜に異常が認められない点につき、太田証言を引用するほか、「このような力が本件石によつて加わり、なおかつ骨折や骨膜の損傷がないということの説明は、検察官提出の前記各文献や鈴木検調(一)及び牧角鑑定書等をもつてしてもできていない。」としているが、検察官提出の諸文献及び同西丸與一作成の捜査関係事項照会に対する回答書は、いずれも、乳幼児は肋骨が極めて弾力性があり、骨膜は厚くしかも弾力性があることから、肺実質部に挫滅、離断などの重篤な臓器損傷を与えながら肋骨の骨折がないことや、骨膜にも損傷が発見されないことがあり得ることを教えているのであり、古畑、鈴木、牧角鑑定人の見解が医学的に合理的に成立することの根拠たり得るものであることは明らかであるから、原決定の右判断は誤りである、と主張する。

そこで、検討するに、原決定は、所論引用の原審において検察官から提出された欧文、邦文の法医学関係の各種文献及び西丸與一作成の捜査関係事項照会に対する回答書により一般的に、小児では胸廓が弾力性、柔軟性に富むために打撃を受けても肋骨々折を生ずることは稀であることや小児の骨膜は厚く弾力性があるということは認めているのであつて、そのことを前提としたうえで、右諸文献記載の事例は、その具体的条件が不明であつたり、本件と異なり攻撃面が比較的広かつたり、攻撃物体自体が柔らかかつたりする場合であり、本件石の場合は攻撃面は狭く限局されており、しかも極めて固いものであつて、攻撃物体の性質を異にしていること、本件の場合は胸部全体に損傷を与えたというのではなく、損傷が第四肋間という一個所に集中しているのであり、しかも鈴木検調(一)及び牧角鑑定書は、肋間筋が断裂し、肺に損傷を与えたのは、本件石が第四肋間に押し込まれたことによると想定しているのであるから、このようなことが起るためには、本件石が、表皮等の組織を介し第四、第五肋骨に突き当たつてこれを押し下げ、最大幅が約一・二センチメートルしかない第四肋間を押し開き、第四肋骨を上へ、第五肋骨を下に押し広げる一方、肋間筋は第四肋間の離開によつて上下に伸展したうえ本件石による前後の打力によつて押し下げられ、その結果弾性限界を越えて断裂したことになり、牧角鑑定書においては、その後も石は更に深く入つて肋間を押し開いて肺に損傷を与えたということになること、これを第四、第五肋骨に加わつた力という観点からみると、その力は、本件石が突き当たつた際の衝撃力、押し下げ及び上下への押し開きの力のほか、第四肋間筋が断裂するほどの上下及び前後の各伸展を支える抵抗力等があり、しかもこれらが一気に加わつたことになることを考慮し、このような力が本件石によつて第四、第五肋骨に加わり、なおかつ骨折や骨膜の損傷がないということの説明は、検察官提出の前記各文献や鈴木検調(一)及び牧角鑑定書等によつても十分にはできておらず、これだけ大きな力が加われば、一般的にはいくら幼児の肋骨に柔軟性があるといつても、第四、第五肋骨は挫傷を受けることになるし、仮に柔軟性のため肋骨骨折を生じないで曲つたりすることがあるとしても、本件石の形状からして、第四肋骨下縁及び第五肋骨上縁の部分の骨膜に損傷を与えること避けられない、としているのであり、原決定の右趣旨は、当裁判所としてもこれを是認することができるから所論の非難は理由がない。

第四本件石の発見経過と秘密の暴露について

一原決定の認定について

旧証拠である、証人相田兵市の原第一審第四回公判における供述、請求人の司法警察員に対する昭和二九年五月三一日及び同年六月一日付各供述調書、司法警察員作成の同日付実況見分調書等によると、捜査当局においては胸部損傷の成傷用器を推定し得なかつたところ、同年五月三一日請求人が、「石で殴つた、使つた石は投げはしないから近所にあるだろう。」と供述したので、同年六月一日実況見分したところ、犯行現場付近は粘土質で、死体のあつたところを中心として半径三メートル以内には本件石のほか、下端三分の一くらいが土中に埋つた石一個があつたのみであり、本件石を押収後島田市警察署での取調べの際請求人に示したところ、この石で被害者の左胸部を殴打したことを自白したというのであるが、弁護人は、原審において、石沢岩吉の検察官に対する昭和五四年七月一三日付供述調書二通の各謄本、昭和二九年三月一四日付静岡民報の記事(写)の新証拠により、捜査当局は、請求人の逮捕よりはるか以前の、死体発見直後に本件石を発見、押収し、これを左胸部の成傷用器と判断していたのであるから、被害者の左胸部の傷が請求人の供述によつて初めて本件石で殴打したことによるものであることが判明したから自白は信用できる旨の判断は誤りであるし、また、捜査当局は、昭和二九年六月一日の実況見分に先立ち、既に押収済みの石を現場に運び、あたかも同日に初めて発見されたかのように偽装した疑いがあると主張したところ、原審は、石沢岩吉の証人尋問を実施したうえ、「本件石発見の経緯に関する新証拠は、被害者の左胸部の傷が請求人の供述によつて初めて本件石によるものであることが判明した、とする確定判決の認定が誤りで、本件石が請求人の自供以前に発見され、検証(実況見分)の際に捜査当局の作為が行なわれてこれが採取された、との疑いを生じさせるような証拠としての明白性は認められない。」としている。

しかし、原決定は、さらに、「もつとも、すでに「胸部損傷の成傷用器」の項で述べたところから明らかなように、新証拠によつて本件石が被害者の胸部損傷の成傷用器として適合しない疑いがでてきたうえ、胸部損傷の状況が自白の内容と符合しない疑いもあるのであるから、確定判決のように、左胸部の傷が請求人の供述によつて初めて本件石によるものであることが判明したとはいえないし、かつ、本件石について、当時、血液その他リンパ液等体液が付着しているか否かの鑑定がなされた形跡が窺われないから、客観的証拠による裏付けを欠いているというべきであり、したがつて、確定判決のいうところをもつて、自白の信用性を担保するいわゆる「秘密の暴露」にあたるものとすることはできないというべきである。」としているのである。

二当裁判所の判断

前記認定のように、胸部損傷の成傷用器に関する新証拠によれば、胸部損傷の成傷用器が本件石であることに合理的な疑問が生じたとする原決定の判断は、当裁判所もこれを是認することができるから、請求人の自白によつて被害者の胸部損傷の成傷用器が本件石であることが判明したとの確定判決のいう経緯が、自白の信用性を担保するいわゆる「秘密の暴露」にあたるとすることはできないとの原決定の判断も是認できる。

若干ふえんして説明すると、いわゆる「秘密の暴露」とは、捜査官があらかじめ知り得なかつた事項で捜査の結果客観的事実であると確認されたものをいう(最高裁昭和五七年一月二八日第一小法廷判決・刑集三六巻一号六七頁参照)のであり、自白の中にこのような事項が含まれていたときは、右自白には高度の信用性が保障されることになるとされる。けだし、右の事項は犯人でなければ知り得ない事項であり、捜査官が誘導して自白させたとは考えられないからである。自白に基づいて兇器や死体が発見された場合がその典型的な例であり、本件はその場合にあたるようにみえる。

被害者の死体を解剖した鈴木医師による鈴木鑑定書においては、左胸部の傷の成傷用器は鈍器とのみ判定されるが、それ以上は判定困難であるとされ、請求人は、昭和二九年五月三一日「石で殴つた。使つた石は投げはしないから近所にあるだろう。」と自白したので、同年六月一日実況見分をしたところ、請求人の自白どおりに犯行現場付近から本件石が発見され、請求人に本件石を示したところ、この石で被害者の左胸部を殴打したことを認め、古畑鑑定書は「本件石は、これをつかんで殴打するには手頃な大きさである。ことにその先端が鈍円をなして突出しておることは、本件被害者の胸部の傷を生ずるのに適合するように思われる。私は、被害者の胸部の傷は本件石で殴打すればできると判定する。」としていたのである。

確定判決においては、右古畑鑑定書は信用できるとされ、被害者の胸部損傷の成傷用器が本件石であることは客観的事実であると認められ、かつ、そのことが請求人の自白と一致することが重視されているのであるから、被害者の胸部損傷の成傷用器が本件石であることが判明した経緯は、確定判決においては正しく「捜査官の知り得なかつた事項で、捜査の結果客観的事実であると確認されたもの」であつたのである。

しかるに、本件再審請求において、胸部損傷の成傷用器に関する新証拠により、胸部損傷の成傷用器が本件石であると断定することには合理的疑いを生じたのであるから、本件石で被害者の胸部を殴打したことは、もはや客観的事実とはいえなくなつたのである。したがつて、被害者の胸部損傷の成傷用器が本件石であることが判明した経緯は、もはや請求人の自白の信用性を担保する「秘密の暴露」にあたるとすることはできないのである。

第五請求人の自白の任意性、信用性について

一以上検討してきたところによれば、原決定が請求人の自白調書を再検討すべき事由として挙げる諸点のうち、1請求人が被害者の死亡前にその胸部を石で殴つたとする犯行順序についての供述が古畑鑑定と一致するとの点につき、胸部損傷の時期が生前に生じたものとは断定し難く、頸部絞扼以後であるかもしれない合理的疑いを生じたこと、2被害者の胸部の傷が請求人の供述によつて初めて本件石で殴打したことによるものであることが判明したとの点につき、本件石が胸部損傷の成傷用器として適合すると断定するには合理的疑いを生じいわゆる「秘密の暴露」にあたらないことになつたことの二点については、当裁判所も原決定の判断を是認することができる。しかし、その余の点、すなわち、陰部損傷の時期が自白と異なり頸部絞扼よりも後ではないかとの疑いがあること、陰部損傷の状況は、請求人の自白のように陰茎を半分くらい挿入しただけにしてはあまりにもその程度がひどく右自白の内容と符合しないこと、性交に伴う陰茎の疼痛や損傷については、本件が幼児強姦という特殊な事案であることにかんがみれば、当然右の点に言及されかつ請求人においてもこれを容易に説明できる事柄であるのに、自白調書において説明が欠落しているといつた疑点があるとする点については、当裁判所はこれらを是認することができないが、これらの事実誤認は原決定の結論に影響を及ぼさない。

そうすると、当裁判所が是認できる前記1、2の点は、確定判決が請求人の自白の任意性、信用性を認めるに当たり特に重視していた点であつて、そのことは原第一審裁判所がいつたん終結した弁論を職権で再開して古畑鑑定を取り調べていること及び確定判決の判示から明らかであり、これらの点に合理的な疑いを生じた以上、請求人の自白調書を再検討する必要が生じたものと認められる。

二請求人は、原第一審公判以来、捜査段階での自白を全面的に翻して本件犯行を否認し、請求人・弁護人は、請求人の自白は捜査官の強制、拷問等の違法・不当な取調べによるもので任意性、信用性がない旨を主張しているところ、請求人の取調べにあたつた捜査官らの原第一審又は原第二審における供述等の関係各証拠や請求人のその旨の主張の時期、変遷に徴しても、そのような違法・不当とすべき取調べはなく、請求人の右主張は明らかに誇張であると認められる。しかし、自白の任意性は失われないとしても、犯行前後の足どりに関する請求人の捜査段階における供述の中には明らかに客観的証拠に反する等の虚偽の供述が含まれており、そのことは請求人の自白の信用性の判断にあたつて看過し難いところである。

すなわち、1原第一審証人千田啓、同山本典太の供述記載等によれば、昭和二九年三月一二日夜神奈川県大磯地区警察署管内の大磯町高麗の祠においてぼやが発生し、その原因は、その祠で寝ていた浮浪者風の、請求人と岡本佐太郎が提灯等を燃やして暖をとつたことにあつたので、請求人と岡本が同署に連行されて取調べを受け、本籍照会等により本人と確認のうえ、翌朝微罪として釈放された事実があつたことが認められるが、請求人の捜査官に対する供述調書中には右事実に触れた記載はなく、かえつて請求人の検察官に対する昭和二九年六月一五日付(第四回)供述調書によると、同年三月一二日は日坂から島田方面に戻り、その夜静岡大学島田分校寄宿舎裏の農小屋に泊つた、という虚偽の供述をしていること、2請求人は、司法警察員に対する同年六月二日付供述調書において、同年三月六日の夕方用宗から汽車で島田駅に着いた際、兄の友達で駅員の内藤善ちやんと会つたと供述しているが、原第一審証人内藤善一は、同人の勤務表を調べてみたところ、当日は午前八時半から翌日午前八時半まで島田駅構内にある踏切の警手として働いており、ホームで請求人と会うような勤務状態ではなかつた旨及び同月五日と七日は非番であつた旨を供述しており、前記請求人の供述については、これに反する証拠が存すること、3請求人は、司法警察員に対する同年六月九日付供述調書において、同年三月六日朝自宅に帰り、夜兄に叱られてまた家を飛び出したと供述し、検察官に対する同年六月一二日付供述調書においては、同年三月五日自宅に帰り一泊したと供述しているが、家人はその事実を否定しており、三月五日又は六日に自宅へ帰つた旨の請求人の供述は信用性に乏しいこと、が指摘できる。これらは、犯行状況そのものに関することではないが、請求人の自白調書の真実性に疑問を投ずる一つの徴憑となることは否定できない。

次に、関係証拠によると、請求人が本件犯行を自白するに至つたきつかけは、昭和二九年三月一〇日前後の行動についていろいろ質問されるうちに自己のアリバイの説明に窮した結果であることが窺われるが、ここで注目されるのは、その前に請求人が、捜査官に対しそのころ失火を出して平塚警察署で取調べを受けたことがあると供述し、捜査官が同警察署に照会したが該当がないという返事があつたという事実である。もとより、これは請求人が実際には大磯地区警察署で取調べを受けたのを平塚警察署と勘違いしたことによるものであつて、捜査官が請求人を欺いたわけではないが、請求人の心理としては、そのことに思い及ばず、真実を述べているのに認めて貰えないと考え、抵抗を断念し、捜査官の誘導に迎合して自白するに至つたのではないかと考えられないでもない。原決定が指摘するように、請求人が軽度の精神薄弱者であつて、感情的に不安定、過敏で心因反応を起こしやすく、捜査官の誘導によつて暗示にかかりやすい傾向があることを考え合わせると、そのおそれは否定できないところであつて、このような事情は、請求人の自白の信用性の判断にあたつて看過できないところである。

三確定判決は、請求人の自白調書に信用性を認め得る根拠として、1請求人が昭和二九年五月三〇日夜九時半頃、島田市警察署留置場保護室内で、当直副主任であつた松本義雄に対し「大罪をおかしてしまいました」と述べたこと及びその時の態度(原第一審証人松本義雄の供述記載)、2請求人が同月三〇日捜査官清水初平に対し本件犯行を自白したときの状況(原第一審証人清水初平の供述記載)、3請求人が同月三〇日以降、捜査官相田兵市に対し、本件犯行を自白したときの態度、証拠物たる被害者の着衣を示されて、請求人が「もう見せないでくれ、警察署付近で遊んでいる子供の声を聞くとあの子が生き返つてくるような気がしてならない。早く刑務所に送つてくれ」と言つて顔色を変えたこと(原第一審証人相田兵市の供述記載等)を掲げており、確定判決の掲げる右のような事情が、請求人の自白の信用性を高める要素となりうることは確かであるが、確定判決は、そのような言動だけで請求人の自白の信用性を決定的に肯定したのではなく、前記古畑鑑定に依拠した胸部損傷の発生時期、胸部損傷の成傷用器の認定と併せて請求人の自白の信用性を決定的に肯定したのであるから、そのような言動があつたこと自体は揺がないからといつて、請求人の自白の信用性に関する問題点がすべて克服されるということはできない。

四以上を要約すると、確定判決が請求人の自白の任意性、信用性を認めた根拠のうち、1請求人が被害者の生前にその胸部を石で殴つた旨供述しており、そのことが古畑鑑定によつて裏付けられたこと、2被害者の胸部の傷が、請求人の自白によつて初めて本件石であることが判明し、古畑鑑定によつてそれが裏付けられたことが特に大きな意味を持つていたと考えられ、とくに2の点は、請求人の自白に高度の信用性を保障する「秘密の暴露」にあたるものとされていたところ、前記各新証拠により古畑鑑定の信用性に合理的な疑問が生じ、1の点については、被害者の胸部損傷が死後(頸部絞扼後)のものであるかもしれない合理的な疑いを生じ、2の点については、本件石以外のものが胸部損傷の成傷用器であるかもしれない合理的疑いを生じ、もはや「秘密の暴露」といえなくなつたのであるから、確定判決が請求人の自白の信用性の大きな支えとしたところが失われたものというべく、他に確定判決の掲げる信用性肯定の事情を考慮しても、請求人の自白調書に存在する問題点を克服して、その自白調書に請求人の犯行を肯定し得るほどの真実性を認め得たかについては疑問が生ずるに至つたというべきである。

第六その他の証拠について

これまで検討してきたところによつて明らかなように、新証拠によつて古畑鑑定の信用性に合理的な疑問が生じ、確定判決が請求人の自白の信用性の大きな支えとしたところが失われたのであるが、もし、確定判決が請求人の自白以外にそれだけで請求人の犯行を認めるに足りる証拠があるとしているとすれば、前記新証拠は、未だ請求人に対し無罪を言い渡すべき明白な証拠に当たらないわけであるから、ここで請求人の自白以外の証拠について検討しておく。

右のような意味で検討を要するのは、請求人又は請求人に似ている男が、被害者を犯行当日快林寺境内から連れ出すのを目撃し、あるいは被害者を連れて犯行現場の方へ歩いて行くのを見たという各証人の供述である。

まず、原第一審(第三回)証人太田原ます子の供述によると、太田原ます子は、昭和二九年六月六日、面通しのため同人の孫松雄を連れて島田市警察署に行つたとき、裏口付近でたまたま請求人と出合つた松雄が「アッ、あの人だ」とはつきり言つて請求人を指示し、署内で二度目に請求人を見たときも、松雄が「あのお兄さんだ」と言つた旨供述しているところ、太田原松雄は、昭和二九年三月一〇日快林寺境内で遊んでいた幼稚園児で被害者を連れ出した犯人を目撃した者であるが、前記指摘は同人自身の証言によるものではなく、太田原ます子の証言中の伝聞証言であり、太田原松雄自身は、原第一審公判廷(第九回)に出廷した時は、既に小学校二年生で、当時祖母に連れられて警察で面通しをし、請求人を見せられて、被害者を連れて行つた人が請求人である旨を供述した記憶はあるものの、それ以上に面通しのときの詳細な状況や犯人が被害者を連れ出した時の状況の記憶はほとんど薄れていて、同人自身による明確な指摘は得られていない。そして、右松雄による面通しは請求人の自白後に行なわれたものであること、松雄を請求人に面通しさせる際、捜査官が「久子ちやんを連れ去つた犯人が捕まつたからその顔を見せに行く」旨を述べ松雄にある程度の暗示を与えていることを考えると、その信用性の評価には慎重な態度が必要であり、確定判決においても請求人との同一性について疑義を入れる余地のないほど確実なものとされていたとは認められない。

次に、原第一審証人鈴木鉄蔵の供述記載によると、同人は当時大井川にかかつていた蓬莱橋(有料)の橋番であつて、昭和二九年三月一〇日午後一時ごろ、子供を背負つた若い男が橋銭を払わないで橋を渡ろうとしてしたのを目撃しており、その男の横顔が請求人とよく似ていた旨供述しているが、同人の供述は請求人との同一性まで供述するものではない。

原第一審証人中野ナツの供述記載及び同人に対する証人尋問調書によると、中野ナツは昭和二九年三月一〇日快林寺の山門に通ずる道路に面した自宅の前等で三回、女の子を連れて歩いている男を目撃しており、その男の横顔が請求人と似ている旨供述しているが、請求人との同一性までを供述しているわけではない。

原第一審証人松野みつの供述記載、原第一審における証人松野みつ、同橋本秀夫、同橋本すえに対する各尋問調書は本件当日被害者を連れて歩いていた犯人と思われる若い男の足どりや、その男が請求人と同様の履物である長靴を履いていたことや、その男の服装・身長が請求人に類似すること等を示すだけで、それ以上に請求人との同一性を明らかにするものではない。

以上の目撃者らの証言は、被害者を連れて歩いていた男と請求人との同一性について疑義をいれる余地のないほど確実性のあるものとは認められず、加えて目撃者らは本件の犯行それ自体を現認していないのであるから、これら目撃者の証言だけで請求人を本件の犯人であると認定することはできず、これらの証言は請求人の自白を補強するものとして請求人の自白と併せて評価されるべきものと認められる。

第七結論

一以上のとおりであつて、新証拠によつて古畑鑑定の信用性に合理的な疑問が生じ、その結果、確定判決が請求人の自白の信用性の大きな支えとしたところが失われ、かつ、確定判決においても請求人の自白以外の証拠だけで請求人が犯人であると認定するに十分であるともしていないから、これらの新証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出され、これと既存の全証拠とを総合的に判断したとすれば、確定判決裁判所が確定判決において認定した事実を合理的な疑いを容れない程度のものとして認定し得たかについては疑問が生ずるのであつて、これは確定判決の有罪認定に合理的疑いを生じたことにあたる。したがつて請求人に対し無罪を言い渡すべき新規かつ明白な証拠を発見したとき(刑訴法四三五条六号)に該当するとした原決定の判断は、結論において当裁判所もこれを是認することができる。

二なお、所論は、原決定は、新証拠の証明力を過大に評価するあまり、犯行順序等に関する請求人の自白の信用性、真実性に疑念をいだき、さらに確定審裁判所の心証形成にみだりに介入する誤りを犯して信用性及び真実性に富む請求人の自白全体の信用性、真実性に合理的疑いが生じたと認め、その結果、新証拠に明白性があるとの誤つた判断に陥つたものであつて、このような原決定の判断は、再審請求における新証拠の明白性に関する判例の趣旨にも反する違法、不当のものであると主張する。

しかし、原決定が、結論において、新証拠の明白性の判断を誤つたものではないことは、これまで検討してきたところにより明らかであり、その判断が再審請求における新証拠の明白性に関する判例の趣旨に反するものとも認められない。

三そうすると、本件につき、再審を開始し、請求人に対する死刑の執行を停止することとした原決定は結論において正当であつて、本件抗告はその理由がない。

よつて、刑訴法四二六条一項後段により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官森岡 茂 裁判官朝岡智幸 裁判官小田健司)

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